10年間ほど使っていたHPが新しくなりました!
表紙は絵本『のんのとオオムラサキ』の絵です。
たかたひろこさんの豊かな色彩の世界が、
HPを訪問して下さったみなさまを歓迎しています。
これからもいろいろな作品を増やしていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
今年は春が早い、と思っていたら、
雪が降り、季節は調整に入ったようです。
シャンプーをウーロン茶・植物の香り風に変えたら、
頭がすっきりとして、気分は上々です。
今年の春はシャンプーから、です。
「むかしむかし定山渓鉄道が走っていたころ」を語ろう。
今日藤野地区センターで開催しました。
藤野、石山、定山渓、簾舞、平岸、西岡、厚別、円山、白石と
市内の広い範囲から参加していただきました。
56人の方がひざをつきあわせて、定鉄が走っていたころの話を
繰り広げました。会場は熱気で、暖房を消し、窓をすこし開けました。
定山渓観光協会の土館佳子さんのお話
定鉄の乗客数が昭和36年まで右肩上がりで、翌年以降減少し始めた。
定鉄の車掌さんは沿線の勉強をして観光客の質問に答えたこと、
そのサービスをふくめ、定鉄の接客が高く評価されたこと
藤野のりんごの木、1本に何個のリンゴが成るかまで、質問されたそうです。
温泉客は最初ほとんどが男性だったこと
修学旅行や団体客で大盛況だったこと
1団体で600人の観楓会があり、旅館を貸し切ったことなど。
参加した方は電車の写真や、沿線の駅名入りの資料など、
貴重な品々を持参してくださいました。
『夏の時計』のゆかりの物をいただきました。
温泉牛乳ミルクプラントの牛乳キャップが畳の下からみつかって、
それを拡大コピーしたものです。50年前の物です。
感激しました!
この会は年に2~3回開く予定です。
長く続けたいと思っています。
~定鉄が走っていた昭和30~40年代のことを語り合いましょう~
定山渓~豊平まで
観光客や通勤・通学者、木材や鉄鉱石
たくさんの人や物を運んだ定鉄の思い出を
みんなで語り合おうという会を開きます。
2013年1月23日(水)13時~
藤野地区センター
主催 藤野地域に図書館づくりをすすめる会
当時の記憶を語り合い、記録に残したいと思っています。
1年に2回ほど開く予定です。
定鉄沿線に住んでいた方、利用した方、電車が好きな方
たくさんの方の参加、お待ちしています。
札幌で公開中の映画「この空の花 長岡花火物語」の大林宣彦監督が、
新聞のインタビュー記事で、
「この映画は感想よりも体験を語りたがる人が多かった。
参加型の映画です」と語っていました。
映画は1945年8月1日の長岡空襲を扱っていますが、
その空襲を体験した人たちのことです。
7月に『夏の時計』~定山渓鉄道の走っていたころ~
というお話し会を開いた時も同じことを感じました。
会が終わると、当時の体験を口にする人がたくさんいました。
昭和30年代、定鉄が走っていたころ、自分が乗った定鉄の
電車について、自分の暮らした日常の風景について
参加した一人一人が、語りたいのだと思いました。
熱い思いが伝わってきました。
その熱に感染して、
定山渓鉄道が走っていたころを語りあう会を、
定期的に開くことになり、1回目は
来年1月23日(水)13時~ 藤野地区センター。
詳しくは、 随時お知らせしていきます。